【琵琶湖八景のひとつ 国宝彦根城。歴史と見どころを知って観に行こう。】

彦根城
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 【井伊家の居城である彦根城の歴史とは?】

彦根城

井伊家の居城である彦根城は近江国、つまり現在の滋賀県にあります。

 近江国は彦根城が建てられる以前から栄え、彦根城が建てられる前は佐和山城が拠点とされ、佐々木氏が鎌倉時代に砦を築き、そのあとで佐和山城へと整備されました。
 そして戦国の世になると佐々木氏の子孫の六角氏や、浅井長政、織田信長、豊臣秀吉と、この地域の支配者は変わっていきました。

 このときの佐和山城は織田信長は丹羽長秀に任せ、豊臣秀吉は石田三成に任せていたのでこの地域が重要なところだったというのが分かります。

 その後時を経て起きたのが1600年の関ヶ原の戦いで、西軍の主導的立場となっていたのが石田三成ですが、戦いに敗れ処刑されてました。

 さらに石田三成の居城であった佐和山城は関ヶ原の戦いの3日後に、徳川家康の率いる東軍に攻撃され落城したのです。

 関ヶ原の戦いの後佐和山城を獲得した徳川家康は、城を信頼の厚い家臣で徳川家康四天王の筆頭と呼ばれた井伊直政に任せます。

 井伊直政は佐和山城を廃止し、新たな城を建てることに決め、琵琶湖により近い磯山に築くことに決めたのです。 しかし井伊直政は関ヶ原の戦いによって受けた傷が原因となり、亡くなってしまい磯山への新城の建築は中断されました。

 このとき井伊家を継いだのが幼かった井伊直勝です。しかし幼さ故に、家臣である木俣守勝と徳川家康の相談者によって、新たな城をどこへ建築するのか決めていったのですが、そこで浮上した場所というのが磯山から南にある彦根山でした。

 なぜかというと磯山は琵琶湖に面し湖上交通が便利ではあったものの、湿地帯に囲まれていたため城下町の発展が見込めず、城の防御となる地形や川なども無かったのです。
 一方の彦根山というと内湖と呼ばれる入江に隣接し、南には芹川の流れを変え天然の掘を作ることができました。さらに干拓によって城下の発展が見込めたため、この地に城を築くことになったのです。

 そんな彦根城は1603年に築城工事が始まりました。このときには12の大名がてつたい、大津城や佐和山城、長浜城から木材や石材を集め急ピッチで進められたと言われています。
 それは徳川家康が江戸から遠ざけ、西日本へ追いやった大名たちが反抗することが心配だったからで、大名たちは豊臣秀吉に恩を感じ息子の秀頼を担ぎ攻めくることを不安に考えていたのです。

 そのときの最前線で徳川家を守る城として築かれたのが、彦根城でした。そのため本来なら井伊家が単独で造るところを、周辺の大名に手伝わせたのです。

 彦根城は江戸時代、井伊家とともに日本政治をコントロールする立場にありました。中でも安政の地獄を行い桜田門外の変で殺害された井伊直弼は有名ですが、井伊直弼の死後は16代井伊直憲が跡を継いで明治時代へと時代は変わります。

 そこで起きたのが戊辰戦争です。戊辰戦争では、彦根藩は薩長の親政府軍の味方となったため旧幕府軍と戦うこととなり、本来の目的であった徳川家を守るという役目は果たされなかったのです。

 その後は明治となり廃城令が出され彦根城も取り壊しが決まります。
しかし1878年に明治天皇が巡幸をした際、彦根に立ち寄りました。
このときに大隈重信が彦根城の保存を提案し、明治天皇はこの提案に賛同し彦根城は取り壊されなかったと言われています。

 さらに時を経て起きたのが大平洋戦争です。
1945年8月15日のポツダム宣言で終戦を迎えましたが、アメリカは8月15日の夜に彦根の爆撃を予定したそうです。
もしこのとき大平洋戦争が終わっていなかったら、彦根城は爆撃で失われていた可能性も大きいと言われています。

 大平洋戦争でも残った彦根城は、戦後1951年に国の指定史跡に登録され、天守、建物6棟が重要文化財に指定されました。さらに1952年には天守、付櫓、多門櫓が重要文化財から国宝へ指定され、1956年には国の特別史跡に指定されました。
そして1957年から1962年には天守や三重櫓、佐和口多門櫓などの修理が行われ、1963年には馬屋が重要文化財になりました。

 1993年から1996年には平成の大修理が行われ、天守や櫓などの屋根の葺き替え、壁の塗り塗り替え、腐食部分の修理、金箔の手入れなどが行われたのが彦根城の歴史です。

【戦う城であった彦根城の見逃せない秘所】

彦根城天秤櫓

戦の城であった彦根城の見逃せない秘所と言えば、天秤櫓です。

 天秤櫓は表門と大手門の合流する要所に建てられ、左右の櫓が別の役割を果たすなど防御に優れていたところです。この形の櫓というのは国内では彦根城でしか見ることが出来ないため、見逃せない秘所です。

 さらに本丸の西にある西の丸三重櫓も見逃せない秘所です。
三重櫓には東側と西側に続櫓が連なっており、西の丸三重櫓と西の少し離れた曲輪、出曲輪との間に大堀切があり、裏手から侵入する敵に備える要所となっているため見応えがあります。

 また佐和口多聞櫓の近くにある馬屋も見逃せない秘書で、21頭もの馬が収容可能で常に馬がつながれている場所です。
城内に大規模な馬屋が残るのは彦根城だけなので、見応えがある秘所です。

 城内にある登り石垣も見逃せない場所で、城に5つある石垣です。
高さが1メートルから2メートルの石垣が山の斜面に積まれ、斜面を移動する敵の動きを阻むために造られたのが登り石垣で全国でも貴重な石垣となっています。

 そして日本音風百選にも選ばれている時報鐘も見逃せない秘所です。
時報鐘は城全体に音が響くように太鼓門櫓の近くに移築された鐘で、幕末には藩主の井伊直亮により美しい音色になるよう多量の小判を投入して鋳造されたと言われています。

そして4代藩主の井伊直興によって造営された玄宮園も見どころです。

 玄宮園はというと、槻之御庭と呼ばれる回遊式庭園です。
中国の瀟湘八景から近江八景を取り入れたという説と、玄宮図園の十景とされる説があるのが特徴の場所で、園内には建造物の鳳翔台があります。
この鳳翔台では藩主が客を歓待するための客殿として造られ、見応えがあります。

 また重要文化財となる佐和口櫓も見逃せない秘所で、長屋のような見た目が特徴です。
右側の櫓は1960年に再建されたものですが、開国記念館として彦根についての資料を展示しています。

【城下町 キャッスルロードで彦根グルメを堪能しよう】

キャッスルロード

 滋賀県彦根市の彦根城の城下町をイメージして造られたのが、キャッスルロードです。
キャッスルロードでは老舗のグルメやカフェ、お土産屋が軒を連ねグルメを堪能できます。

 そんなキャッスルロードでグルメを堪能するなら、近江牛100%の近江バーガーカフェルパンです。
ジューシーなパテがボリューム満点の近江バーガーカフェのルパンですが、作り置きをしないのが特徴でいつでも熱々の近江バーガーが食べられると評判です。

 また近江バーガーカフェルパンの特徴は、ソースのバリエーションが豊富なのがポイントです。
人気のソースはステーキソースと醤油味で、ベーコンチーズバーガーも人気を博しています。

 サイドメニューには揚げたてのポテト、アサイージュース、ソフトクリームもあり人気だと言われています。

 さらにキャッスルロードで彦根グルメを堪能するなら、比内地鶏ほっこりやです。

 彦根では有名な親子丼の店で、とろとろした卵と比内地鶏の肉のコンビネーションは絶妙だと評判です。
卵にも鶏肉にもしっかり味がついているため、ご飯もどんどん進むと言われ人気です。
あっさりスープのラーメンも人気で、親子丼と一緒に注文する人も多いです。
またジューシーな地鶏の串焼きや、塩で食べると美味しい自家製の豆腐も人気メニューとして知られています。

 まだまだキャッスルロードで彦根グルメを堪能するなら、入り口から老舗の雰囲気を感じる、たねや彦根美濠の舎も魅力的です。
店内はとても静かな和菓子店で、季節の素材を使ったデザートを楽しむことができます。
 もちろん 、クラブハリエの洋菓子も食べられ、ガラスケースの中には綺麗で美味しそうなケーキがたくさんあります。
美濠カフェで頂けるケーキセットは、おしゃれなプレートに乗って出てくるため見ても食べても楽しめます。
そしてバームクーヘンが人気のお店でもあるため、お土産として購入する人も多いと評判です。

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